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キャッチャー・イン・ザ・クラウド
佐藤追記(7/24)※ネタバレあり
上昇/下降:どんな作品にも言おうと思えば言えることである。凡庸な視点であることは否めないが、帆高の終盤の動きから陽菜との下降へ。人々の幻想を吸い込み、高層ビル屋上からの祈りに代表されるように、物理的にも祭り上げられ摩耗した陽菜を帆高は現実へ再び呼び戻す。降りしきる雨もまた下降。
異界:村上春樹作品ではこちら側/あちら側を繋ぐ通路の役割として、例えば首都高の非常階段(『1Q84』)やエレベーター(『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』)といった都市の中のありふれた場所が描かれる。ところでこれらに上昇/下降の運動が重なる。帆高が雲の上(=あちら側)を目指すとき、描かれる都市の中に埋没した廃ビル、しかもその屋上の鳥居へ「階段を登っていく」。ここに新海誠の村上春樹の影響を強く感じる。
水没する都市:いい画! 情報に溢れかえり混濁する現代の都市の過剰性は水没のイメージで言い換えることができるのもしれない。あるいはそうした都市の混乱に対置される形で雲の上に静謐な草原が描かれるのは興味深い。
雲間の光:世界が狂っていることが前提だとして、しかし雲の間にみえる一瞬の光に帆高と陽菜は魅了される。エピファニー。途端に主客を失うような、天啓的な忘我の恍惚は狂った世界から解放される尊い瞬間なのかもしれない。
親の不在/疑似家族:帆高と陽菜の親はそれぞれ作品から排除されている。対照的に父親になろうともがく須賀の姿が描かれる。須賀の「大人になれ」という問いかけは、帆高に対してというより、自身に対して向けられた言葉であり、須賀の「大人(=親)へのなりきれなさ」は帆高の無邪気なふるまいに投影される。帆高、陽菜、凪、須賀、萌花、夏美の公園での和やかなじゃれ合いは理想的な家族のように描かれる、あるいは初盆を晴らすシーンの和やかさ。