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林芙美子 新版放浪記 第一部
えぷろん
10 episodes
8 months ago
『私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない…』で始まる新版放浪記、大正・昭和初期にかけての林 芙美子はどのように生きてきたのでしょうか。ご一緒にお楽しみいただければ幸いです。なお、文中には今日では不適切と思われる表現が含まれておりますが、そのまま読ませていただいておりますことをご了承くださいませ。  えぷろん
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『私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない…』で始まる新版放浪記、大正・昭和初期にかけての林 芙美子はどのように生きてきたのでしょうか。ご一緒にお楽しみいただければ幸いです。なお、文中には今日では不適切と思われる表現が含まれておりますが、そのまま読ませていただいておりますことをご了承くださいませ。  えぷろん
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林 芙美子 放浪記第一部 その2
林芙美子 新版放浪記 第一部
13 years ago
林 芙美子 放浪記第一部 その2
参照テキスト:青空文庫図書カード№1813 音声再生時間:40分06秒 shinpan-hourouki1-3~4a.mp3 (十二月×日)  朝、青梅(おうめ)街道の入口の飯屋へ行った。熱いお茶を呑んでいると、ドロドロに汚れた労働者が駈け込むように這入って来て、 「姉さん! 十銭で何か食わしてくんないかな、十銭玉一つきりしかないんだ。」  大声で云って正直に立っている。すると、十五六の小娘が、 「御飯に肉豆腐でいいですか。」と云った。  労働者は急にニコニコしてバンコへ腰をかけた。  大きな飯丼(めしどんぶり)。葱(ねぎ)と小間切れの肉豆腐。濁った味噌汁。これだけが十銭玉一つの栄養食だ。労働者は天真に大口あけて飯を頬ばっている。涙ぐましい風景だった。天井の壁には、一食十銭よりと書いてあるのに、十銭玉一つきりのこの労働者は、すなおに大声で念を押しているのだ。私は涙ぐましい気持ちだった。御飯の盛りが私のより多いような気がしたけれども、あれで足りるかしらとも思う。その労働者はいたって朗かだった。私の前には、御飯にごった煮にお新香が運ばれてきた。まことに貧しき山海の珍味である。合計十二銭也を払って、のれんを出ると、どうもありがとうと女中さんが云ってくれる。お茶をたらふく呑んで、朝のあいさつを交わして、十二銭なのだ。どんづまりの世界は、光明と紙一重で、ほんとに朗かだと思う。だけど、あの四十近い労働者の事を思うと、これは又、十銭玉一ツで、失望、どんぞこ、墜落との紙一重なのではないだろうか――。  お母さんだけでも東京へ来てくれれば、何とかどうにか働きようもあるのだけれど……沈むだけ沈んでチンボツしてしまった私は難破船のようなものだ。飛沫(しぶき)がかかるどころではない、ザンブザンブ潮水を呑んで、結局私も昨夜の淫売婦と、そう変った考えも持っていやしない。あの女は三十すぎていたかも知れない。私がもしも男だったら、あのまま一直線にあの夜の女に溺(おぼ)れてしまって、今朝はもう二人で死ぬる話でもしていたかもしれない。  昼から荷物を宿屋にあずけて、神田の職業紹介所に行ってみる。  どこへ行っても砂原のように寥々とした思いをするので、私は胸がつまった。 (お前さんに使ってもらうんじゃないよ。)  おたんちん!  ひょっとこ!  馬鹿野郎!  何と冷たい、コウマンチキな女達なのだろう――。  桃色の吸取紙のようなカードを、紹介所の受付の女に渡すと、 「月給三十円位ですって……」  受付女史はこうつぶやくと、私の顔を見て、せせら笑っているのだ。 「女中じゃいけないの……事務員なんて、女学校出がうろうろしているんだから駄目よ、女中なら沢山あってよ。」  後から後から美しい女の群が雪崩れて来ている。まことにごもっともさまなことです。  少しも得るところなし。  紹介状は、墨汁会社と、ガソリン嬢と、伊太利(イタリア)大使館の女中との三つだった。私のふところには、もう九十銭あまりしかないのだ。夕方宿へ帰ると、芸人達が、植木鉢みたいに鏡の前に並んで、鼠色の白粉(おしろい)を顔へ塗りたくっている。 「昨夜は二分しか売れなかった。」 「藪睨(やぶにら)みじゃア買手がねえや!」 「ヘン、これだっていいって人があるんだから……」 「ハイ御苦労様なことですよ。」  十四五の娘同士のはなしなり。 (十二月×日)  こみあげてくる波のような哀しみ、まるで狂人になるような錯覚がおこる。マッチをすって、それで眉ずみをつけてみた。――午前十時。麹町(こうじまち)三年町の伊太利大使館へ行ってみた。  笑って暮らしましょう。でも何だか顔がゆがみます。――異人の子が馬に乗って門から出てきた。門のそばにはこわれた門番の小屋みたいなものがあって、綺麗(きれい)な砂利が遠い玄関までつづいている。私のような女の来るところではないように思えた。地図のある、赤いジュウタンの広い室に通された。白と黒のコスチュウム、異人のおくさんって美しいと思う。遠くで見ているとなおさら美しい。さっき馬で出て行った男の子が鼻を鳴らしながら帰って来た。男の異人さんも出て来たけれど、大使さんではなく、書記官だとかって云う事だった。夫婦とも背が高くてアッパクを感じる。その白と黒のコスチュウムをつけた夫人にコック部屋を見せてもらった。コンクリートの箱の中には玉葱がゴロゴロしていて、七輪が二つ置いてあった。この七輪で、女中が自分の食べるのだけ煮たきをするのだと云うことだ。まるで廃屋のような女中部屋である。黒い鎧戸(よろいど)がおりていて石鹸(せっけん)のような外国の臭いがしている。  結局ようりょうを得ないままで門を出てしまった。豪壮な三年町の邸町を抜けて坂を降りると、吹きあげる十二月の風に、商店の赤い旗がヒラヒラしていて心にしみた。人種が違っては人情も判りかねる、どこか他をさがしてみようかしら。電車に乗らないで、堀ばたを歩いていると、何となく故郷へ帰りたくなって来た。目当もないのに東京でまごついていたところで結局はどうにもならないと思う。電車を見ていると死ぬる事を考えるなり。  本郷の前の家へ行ってみる。叔母さんつめたし。近松氏から郵便が来ていた。出る時に十二社(じゅうにそう)の吉井さんのところに女中が入用だから、ひょっとしたらあんたを世話してあげようと云う先生の言葉だったけれど、その手紙は薄ずみで書いた断り状だった。  文士って薄情なのかも知れない。  夕方新宿の街を歩いていると、何と云うこともなく男の人にすがりたくなっていた。(誰か、このいまの私を助けてくれる人はないものなのかしら……)新宿駅の陸橋に、紫色のシグナルが光ってゆれているのをじっと見ていると、涙で瞼(まぶた)がふくらんできて、私は子供のようにしゃっくりが出てきた。  何でも当ってくだけてみようと思う。宿屋の小母さんに正直に話をしてみた。仕事がみつかるまで、下で一緒にいていいと言ってくれた。 「あんた、青バスの車掌さんにならないかね、いいのになると七十円位這入るそうだが……」  どこかでハタハタでも焼いているのか、とても臭いにおいが流れて来る。七十円もはいれば素敵なことだ。とにかくブラさがるところをこしらえなくてはならない……。十燭(しょく)の電気のついた帳場の炬燵(こたつ)にあたって、お母アさんへ手紙を書く。  ――ビョウキシテ、コマッテ、イルカラ、三円クメンシテ、オクッテクダサイ。  この間の淫売婦が、いなりずしを頬ばりながらはいって来た。 「おとついはひどいめに会った。お前さんもだらしがないよ。」 「お父つぁん怒ってた?」  電気の下で見ると、もう四十位の女で、乾いたような崩れた姿をしていた。 「私の方じゃあんなのを梟(ふくろう)と云って、色んな男を夜中に連れ込んで来るんだが、あんまり有りがたい客じゃあないんですよ。お父つぁん、油をしぼられてプンプン怒ってますよ。」  人の好さそうな老けたお上さんは、茶を淹(い)れながらあの女の事を悪く云っていた。  夜、お上さんにうどんを御馳走になる。明日はここの小父さんのくちぞえで青バスの車庫へ試験をうけに行ってみよう。暮れぢかくになって、落ちつき場所のない事は淋しいけれど、クヨクヨしていても仕様のない世の中だ。すべては自分の元気な体をたのみに働きましょう。電線が風ですさまじく鳴っている。木賃宿の片隅に、この小さな私は、汚れた蒲団に寝ころんで、壁に張ってある大黒さんの顔を見ながら、雲の上の御殿のような空想をしている。 (国へかえってお嫁にでも行こうかしら……)         * (四月×日)  今日はメリヤス屋の安さんの案内で、地割りをしてくれるのだと云う親分のところへ酒を一升持って行く。  道玄坂の漬物屋の路地口にある、土木請負の看板をくぐって、綺麗ではないけれど、拭きこんだ格子を開けると、いつも昼間場所割りをしてくれるお爺さんが、火鉢の傍で茶を啜(すす)っていた。 「今晩から夜店をしなさるって、昼も夜も出しゃあ、今に銀行(くら)が建ちましょうよ。」  お爺さんは人のいい高笑いをして、私の持って行った一升の酒を気持ちよく受取ってくれた。  誰も知人のない東京なので、恥かしいも糞(くそ)もあったものではない。ピンからキリまである東京だもの。裸になりついでにうんと働いてやりましょう。私はこれよりももっと辛かった菓子工場の事を思うと、こんなことなんか平気だと気持ちが晴れ晴れとしてきた。  夜。  私は女の万年筆屋さんと、当(あて)のない門札を書いているお爺さんの間に店を出さして貰った。蕎麦(そば)屋で借りた雨戸に、私はメリヤスの猿股(さるまた)を並べて「二十銭均一」の札をさげると、万年筆屋さんの電気に透して、ランデの死を読む。大きく息を吸うともう春の気配が感じられる。この風の中には、遠い遠い憶(おも)い出があるようだ。鋪道(ほどう)は灯の川だ。人の洪水だ。瀬戸物屋の前には、うらぶれた大学生が、計算器を売っていた。「諸君! 何万何千何百何に何千何百何十加えればいくらになる。皆判らんか、よくもこんなに馬鹿がそろったものだ。」  沢山の群集を相手に高飛車に出ている、こんな商売も面白いものだと思う。  お上品な奥様が、猿股を二十分も捻(ひね)っていて、たった一ツ買って行った。お母さんが弁当を持って来てくれる。暖かになると、妙に着物の汚れが目にたってくる。母の着物も、ささくれて来た。木綿を一反買ってあげよう。 「私が少しかわるから、お前は、御飯をお上り。」  お新香に竹輪(ちくわ)の煮つけが、瀬戸の重ね鉢にはいっていた。鋪道に背中をむけて、茶も湯もない食事をしていると、万年筆屋の姉さんが、 「そこにもある、ここにもあると云う品物ではございません。お手に取って御覧下さいまし。」  と大きい声で言っている。  私はふっと塩っぱい涙がこぼれて来た。母はやっと一息ついた今の生活が嬉しいのか、小声で時代色のついた昔の唄を歌っていた。九州へ行っている義父さえこれでよくなっていたら、当分はお母さんの唄ではないが、たったかたのただろう。 (四月×日)  水の流れのような、薄いショールを、街を歩く娘さん達がしている。一つあんなのを欲しいものだ。洋品店の四月の窓飾りは、金と銀と桜の花で目がくらむなり。 空に拡がった桜の枝に うっすらと血の色が染まると ほら枝の先から花色の糸がさがって 情熱のくじびき 食えなくてボードビルへ飛び込んで 裸で踊った踊り子があったとしても それは桜の罪ではない。 ひとすじの情 ふたすじの義理 ランマンと咲いた青空の桜に 生きとし生ける あらゆる女の 裸の唇を するすると奇妙な糸がたぐって行きます。 貧しい娘さん達は 夜になると 果物のように唇を 大空へ投げるのですってさ 青空を色どる桃色桜は こうしたカレンな女の 仕方のないくちづけなのですよ そっぽをむいた唇の跡なのですよ。  ショールを買う金を貯(た)めることを考えたら、仲々大変なことなので割引の映画を見に行ってしまった。フイルムは鉄路の白バラ、少しも面白くなし。途中雨が降り出したので、小屋から飛び出して店に行った。お母さんは茣蓙(ござ)をまとめていた。いつものように、二人で荷物を背負って駅へ行くと、花見帰りの金魚のようなお嬢さんや、紳士達が、夜の駅にあふれて、あっちにもこっちにも藻(も)のようにただよい仲々賑(にぎや)かだ。二人は人を押しわけて電車へ乗った。雨が土砂(どしゃ)降りだ。いい気味だ。もっと降れ、もっと降れ、花がみんな散ってしまうといい。暗い窓に頬をよせて外を見ていると、お母さんがしょんぼりと子供のようにフラフラして立っているのが硝子窓に写っている。  電車の中まで意地悪がそろっているものだ。  九州からの音信なし。 (四月×日)  雨にあたって、お母さんが風邪を引いたので一人で夜店を出しに行く。本屋にはインキの新らしい本が沢山店頭に並んでいる。何とかして買いたいものだと思う。泥濘(ぬかるみ)にて道悪し、道玄坂はアンコを流したような鋪道だ。一日休むと、雨の続いた日が困るので、我慢して店を出すことにする。色のベタベタにじんでいるような街路には、私と護謨靴(ごむぐつ)屋さんの店きりだ。女達が私の顔を見てクスクス笑って通って行く。頬紅が沢山ついているのかしら、それとも髪がおかしいのかしら、私は女達を睨み返してやった。女ほど同情のないものはない。  いいお天気なのに道が悪い。昼から隣にかもじ屋さんが店を出した。場銭(ばせん)が二銭上ったと云ってこぼしていた。昼はうどんを二杯たべる。(十六銭也)学生が、一人で五ツも品物を買って行ってくれた。今日は早くしまって芝へ仕入れに行って来ようと思う。帰りに鯛焼(たいやき)を十銭買った。 「安さんがお前、電車にしかれて、あぶないちゅうが……」  帰ると、母は寝床の中からこう云った。私は荷物を背負ったまま呆然としてしまった。昼過ぎ、安さんの家の者が知らせに来たのだと、母は書きつけた病院のあて名の紙をさがしていた。  夜、芝の安さんの家へ行く。若いお上さんが、眼を泣き腫(は)らして病院から帰って来たところだった。少しばかり出来上っている品物をもらってお金を置いて帰る。世の中は、よくもよくもこんなにひびだらけになっているものだと思う。昨日まで、元気にミシンのペタルを押していた安さん夫婦を想い出すなり。春だと云うのに、桜が咲いたと云うのに、私は電車の窓に凭(もた)れて、赤坂のお濠(ほり)の燈火をいつまでも眺めていた。 (四月×日)  父より長い音信が来る。長雨で、飢えにひとしい生活をしていると云う。花壺へ貯めていた十四円の金を、お母さんが皆送ってくれと云うので為替にして急いで送った。明日は明日の風が吹くだろう。安さんが死んでから、あんなに軽便な猿股も出来なくなってしまった。もう疲れきった私達は、何もかもがメンドくさくなってしまっている。  十四円九州へ送った。 「わし達ゃ三畳でよかけん、六畳は誰ぞに貸さんかい。」  かしま、かしま、かしま、私はとても嬉しくなって、子供のように紙にかしまと書き散らすと、鳴子坂(なるこざか)の通りへそれを張りに出て行った。寝ても覚めても、結局は死んでしまいたい事に話が落ちるけれど、なにくそ! たまには米の五升も買いたいものだと笑う。お母さんは近所の洗い張りでもしようかと云うし、私は女給と芸者の広告がこのごろめについて仕方がない。縁側に腰をかけて日向(ひなた)ぼっこをしていると、黒い土の上から、モヤモヤとかげろうがのぼっている。もうじき五月だ。私の生れた五月だ。歪んだガラス戸に洗った小切れをベタベタ張っていたお母さんは、フッと思い出した様に云った。 「来年はお前の運勢はよかぞな、今年はお前もお父さんも八方塞(ふさが)りだからね……」  明日から、この八方塞りはどうしてゆくつもりか! 運勢もへちまもあったものじゃない。次から次から悪運のつながりではありませんかお母さん!  腰巻も買いたし。 (五月×日)  家のかしまはあまり汚ない家なので誰もまだ借りに来ない。お母さんは八百屋が貸してくれたと云って大きなキャベツを買って来た。キャベツを見るとフクフクと湯気の立つ豚カツでもかぶりつきたいと思う。がらんとした部屋の中で、寝ころんで天井を見ていると、鼠のように、小さくなって、色んなものを食い破って歩いたらユカイだろうと思った。夜、風呂屋で母が聞いて来たと云って、派出婦にでもなったらどんなものかと相談していた。それもいいかも知れないけれど、根が野性の私である。金持ちの家風にペコペコ頭をさげる事は、腹を切るより切ない事だ。母の侘(わび)し気な顔を見ていたら、涙がむしょうにあふれてきた。  腹がへっても、ひもじゅうないとかぶりを振っている時ではないのだ。明日から、今から飢えて行く私達なのである。あああの十四円は九州へとどいたかしら。東京が厭(いや)になった。早くお父さんが金持ちになってくれるといい。九州もいいな、四国もいいな。夜更け、母が鉛筆をなめなめお父さんにたよりを書いているのを見て、誰かこんな体でも買ってくれるような人はないかと思ったりした。 (五月×日)  朝起きたらもう下駄が洗ってあった。  いとしいお母さん! 大久保百人町の派出婦会に行ってみる。中年の女の人が二人、店の間で縫いものをしていた。人がたりなかったのであろうか、そこの主人は、添書のようなものと地図を私にくれた。行く先の私の仕事は、薬学生の助手だと云うことである。――道を歩いている時が、私は一番愉しい。五月の埃(ほこり)をあびて、新宿の陸橋をわたって、市電に乗ると、街の風景が、まことに天下タイヘイにござ候と旗をたてているように見えた。この街を見ていると苦しい事件なんか何もないようだ。買いたいものが何でもぶらさがっている。私は桃割れの髪をかしげて電車のガラス窓で直した。本村町(ほんむらちょう)で降りると、邸町になった路地の奥にそのうちがあった。 「御めん下さい!」  大きな家だな、こんな大きい家の助手になれるかしら……、戸口で私は何度かかえろうと思いながらぼんやり立っていた。 「貴女、派出婦さん! 派出婦会から、さっき出たって電話がかかって来たのに、おそいので坊ちゃん怒ってらっしゃるわ。」  私が通されたのは、洋風なせまい応接室だった。壁には、色褪(いろあ)せたミレーの晩鐘の口絵が張ってあった。面白くもない部屋だ。腰掛けは得たいが知れない程ブクブクして柔かである。 「お待たせしました。」  何でもこのひとの父親は日本橋で薬屋をしているとかで、私の仕事は薬見本の整理でわけのない仕事だそうだ。 「でもそのうち、僕の仕事が忙しくなると清書してもらいたいのですがね、それに一週間程したら、三浦三崎の方へ研究に行くんですが、来てくれますか。」  この男は二十四五位かとも思う。私は若い男の年がちっとも判らないので、じっと背の高いその人の顔を見ていた。 「いっそ派出婦の方を止(よ)して、毎日来ませんか。」  私も、派出婦のようないかにも品物みたいな感じのするところよりその方がいいと思ったので、一カ月三十五円で約束をしてしまった。紅茶と、洋菓子が出たけれど、まるで、日曜の教会に行ったような少女の日を思い出させた。 「君はいくつですか?」 「二十一です。」 「もう肩上げをおろした方がいいな。」  私は顔が熱くなっていた。三十五円毎月つづくといいと思う。だがこれもまた信じられはしない。――家へ帰ると、母は、岡山の祖母がキトクだと云う電報を手にしていた。私にも母にも縁のないお祖母(ばあ)さんだけれどたった一人の義父の母だったし、田舎でさなだ帯の工場に通っているこのお祖母さんが、キトクだと云うことは可哀想だった。どんなにしても行かなくてはならないと思う。九州の父へは、四五日前に金を送ったばかりだし、今日行ったところへ金を借りに行くのも厚かましいし、私は母と一緒に、四月もためているのに家主のところへ相談に行ってみた。十円かりて来る。沢山利子をつけて返そうと思う。残りの御飯を弁当にして風呂敷に包んだ。――一人旅の夜汽車は侘しいものだ。まして年をとっているし、ささくれた身なりのままで、父の国へやりたくないけれど、二人共絶体絶命のどんづまり故、沈黙(だま)って汽車に乗るより仕方がない。岡山まで切符を買ってやる。薄い灯の下に、下関行きの急行列車が沢山の見送り人を呑みこんでいた。 「四五日内には、前借りをしますから、そしたら、送りますよ。しっかりして行っていらっしゃい。しょぼしょぼしたら馬鹿ですよ。」  母は子供のように涙をこぼしていた。 「馬鹿ね、汽車賃は、どんな事をしても送りますから、安心してお祖母さんのお世話をしていらっしゃい。」  汽車が出てしまうと、何でもなかった事が急に悲しく切なくなって、目がぐるぐるまいそうだった。省線をやめて東京駅の前の広場へ出て行った。長い事クリームを顔へ塗らないので、顔の皮膚がヒリヒリしている。涙がまるで馬鹿のように流れている。信ずる者よ来れ主(しゅ)のみもと……遠くで救世軍の楽隊が聞えていた。何が信ずるものでござんすかだ。自分の事が信じられなくてたとえイエスであろうと、お釈迦(しゃか)さまであろうと、貧しい者は信ずるヨユウなんかないのだ。宗教なんて何だろう! 食う事にも困らないものだから、あの人達は街にジンタまで流している。信ずる者よ来れか……。あんな陰気な歌なんか真平だ。まだ気のきいた春の唄があるなり。いっそ、銀座あたりの美しい街で、こなごなに血へどを吐いて、華族さんの自動車にでもしかれてしまいたいと思う。いとしいお母さん、今、貴女は戸塚、藤沢あたりですか、三等車の隅っこで何を考えています。どの辺を通っています……。三十五円が続くといいな。お濠には、帝劇の灯がキラキラしていた。私は汽車の走っている線路のけしきを空想していた。何もかも何もかもあたりはじっとしている。天下タイヘイで御座候だ。
林芙美子 新版放浪記 第一部
『私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない…』で始まる新版放浪記、大正・昭和初期にかけての林 芙美子はどのように生きてきたのでしょうか。ご一緒にお楽しみいただければ幸いです。なお、文中には今日では不適切と思われる表現が含まれておりますが、そのまま読ませていただいておりますことをご了承くださいませ。  えぷろん