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林芙美子 新版放浪記 第一部
えぷろん
10 episodes
8 months ago
『私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない…』で始まる新版放浪記、大正・昭和初期にかけての林 芙美子はどのように生きてきたのでしょうか。ご一緒にお楽しみいただければ幸いです。なお、文中には今日では不適切と思われる表現が含まれておりますが、そのまま読ませていただいておりますことをご了承くださいませ。  えぷろん
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『私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない…』で始まる新版放浪記、大正・昭和初期にかけての林 芙美子はどのように生きてきたのでしょうか。ご一緒にお楽しみいただければ幸いです。なお、文中には今日では不適切と思われる表現が含まれておりますが、そのまま読ませていただいておりますことをご了承くださいませ。  えぷろん
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林 芙美子 放浪記第一部 その5
林芙美子 新版放浪記 第一部
13 years ago
林 芙美子 放浪記第一部 その5
参照テキスト:青空文庫図書カード№1813 音声再生時間:45分25秒 shinpan-hourouki1-9~10a.mp3 参考サイト:鹿鳴 ★ 上記より参考させていただきました。ありがとうございました。   楊白花 胡皇后 陽春二三月 楊柳齊作花 春風一夜入閨闥 楊花飄蕩落南家 含情出戸脚無力 拾得楊花涙沾臆 秋去春來雙燕子 愿含楊花入●裏      陽春二三月 楊柳 斉(ひと)しく花を作(な)す 春風 一夜 閏闥(けいたつ)に入り 楊花 飄蕩して南家に落つ 情を含みて戸(こ)を出づれば脚に力無く 楊花を拾ひ得て涙、臆(むね)を沾(うる)おす 秋去り春來(きた)る双燕子 愿(ねが)はくは楊花を含みて●裏(かり)に入れ (六月×日)  雨が細かな音をたてて降っている。 陽春二三月  楊柳斉作レ花 春風一夜入二閨闥一 楊花飄蕩落二南家一 含レ情出レ戸脚無レ力 拾二得楊花一涙沾レ臆 秋去春来双燕子 願銜二楊花一入 裏一  灯の下に横坐りになりながら、白花を恋した霊太后(れいたいごう)の詩を読んでいると、つくづく旅が恋しくなってきた。五十里さんは引っ越して来てからいつも帰りは夜更けの一時過ぎなり。階下の人は勤め人なので九時頃には寝てしまう。時々田端の駅を通過する電車や汽車の音が汐鳴りのように聞えるだけで、この辺は山住いのような静かさだった。つくづく一人が淋しくなった。楊白花のように美しいひとが欲しくなった。本を伏せていると、焦々(いらいら)して来て私は階下に降りて行くのだ。 「今頃どこへゆくの?」階下の小母さんは裁縫の手を休めて私を見ている。 「割引なのよ。」 「元気がいいのね……」  蛇の目の傘を拡げると、動坂の活動小屋に行ってみた。看板はヤングラジャと云うのである。私は割引のヤングラジャに恋心を感じた。太湖船の東洋的なオーケストラも雨の降る日だったので嬉しかった。だけど所詮(しょせん)はどこへ行っても淋しい一人身なり。小屋が閉まると、私は又溝鼠(どぶねずみ)のように部屋へ帰って来る。「誰かお客さんのようでしたが……」小母さんの寝ぼけた声を背中に、疲れて上って来ると、吉田さんが紙を円めながらポッケットへ入れている処だった。 「おそく上って済みません。」 「いいえ、私活動へ行って来たのよ。」 「あんまりおそいんで、置手紙をしてたとこなんです。」  別に話もない赤の他人なのだけれど、吉田さんは私に甘えてこようとしている。鴨居(かもい)につかえそうに背の高い吉田さんを見ていると、私は何か圧されそうなものを感じている。 「随分雨が降るのね……」  これ位白ばくれておかなければ、今夜こそどうにか爆発しそうで恐ろしかった。壁に背を凭せて、かの人はじっと私の顔を凝視(みつ)めて来た。私はこの男が好きで好きでたまらなくなりそうに思えて困ってしまう。だけど、私はもう色々なものにこりこりしているのだ。私は温(おと)なしく両手を机の上にのせて、灯の光りに眼を走らせていた。私の両の手先きが小さく、慄えている。一本の棒を二人で一生懸命に押しあっている気持ちなり。 「貴女は私を嬲(なぶ)っているんじゃないんですか?」 「どうして?」  何と云う間の抜けた受太刀だろう。私の生々しい感傷の中へ巻き込まれていらっしゃるきりではありませんか……私は口の内につぶやきながら、このひとをこのままこさせなくするのも一寸淋しい気がしていた。ああ友達が欲しい。こうした優しさを持ったお友達が欲しいのだけれども……私は何時(いつ)か涙があふれていた。  いっその事、ひと思いに死にたいとも思う。かの人は私を睨(にら)み殺すのかも知れない。生唾が舌の上を走った。私は自分がみじめに思えて仕方がなかった。別れた男との幾月かを送ったこの部屋の中に、色々な夢がまだ泳いでいて私を苦しくしているのだ。――引っ越さなくてはとてもたまらないと思う。私は机に伏さったまま郊外のさわやかな夏景色を頭に描いていた。雨の情熱はいっそう高まって来て、苦しくて仕方がない。「僕を愛して下さい。だまって僕を愛して下さい!」「だからだまって、私も愛しているではありませんか……」せめて手を握る事によってこの青年の胸が癒(いや)されるならば……。私はもう男に迷うことは恐ろしいのだ。貞操のない私の体だけども、まだどこかに私の一生を託す男が出てこないとも限らないもの。でもこの人は新鮮な血の匂いを持っている。厚い胸、青い眉、太陽のような眼。ああ私は激流のような激しさで泣いているのだ。 (六月×日)  淋しく候。くだらなく候。金が欲しく候。北海道あたりの、アカシヤの香る並樹道を一人できままに歩いてみたいものなり。 「もう起きましたか……」  珍らしく五十里さんの声が障子の外でしている。 「ええ起きていますよ。」  日曜なので五十里さんと静栄さんと三人で久しぶりに、吉祥寺(きちじょうじ)の宮崎光男さんのアメチョコハウスに遊びに行ってみる。夕方ポーチで犬と遊んでいたら、上野山と云う洋画を描く人が遊びに来た。私はこの人と会うのは二度目だ。私がおさない頃、近松さんの家に女中にはいっていた時、この人は茫々としたむさくるしい姿で、牛の画を売りに来たことがあった。子供さんがジフテリヤで、大変侘し気な風采(ふうさい)だったのをおぼえている。靴をそろえる時、まるで河馬(かば)の口みたいに靴の底が離れていたものだった。私は小さい釘(くぎ)を持って来ると、そっと止めておいてあげた事がある。きっとこの人は気がつかなかったかも知れない。上野山さんは飄々と酒を呑みよく話している。夜、上野山氏は一人で帰って行った。 地球の廻転椅子に腰を掛けて ガタンとひとまわりすれば 引きずる赤いスリッパが 片っ方飛んでしまった。 淋しいな…… オーイと呼んでも 誰も私のスリッパを取ってはくれぬ 度胸をきめて 廻転椅子から飛び降り 飛んだスリッパを取りに行こうか。 臆病な私の手はしっかり 廻転椅子にすがっている オーイ誰でもいい 思い切り私の横面を はりとばしてくれ そしてはいているスリッパも飛ばしてくれ 私はゆっくり眠りたいのだ。  落ちつかない寝床の中で、私はこんな詩を頭に描いた。下で三時の鳩時計が鳴っている。      * (六月×日)  世界は星と人とより成る。エミイル・ヴェルハアレンの「世界」と云う詩を読んでいるとこんな事が書いてあった。何もかもあくびばかりの世の中である。私はこの小心者の詩人をケイベツしてやりましょう。人よ、攀(よ)じ難いあの山がいかに高いとても、飛躍の念さえ切ならば、恐れるなかれ不可能の、金の駿馬(しゅんめ)をせめたてよ。――実につまらない詩だけれども、才子と見えて実に巧(うま)い言葉を知っている。金の駿馬をせめたてよか……窓を横ぎって紅い風船が飛んで行く。呆然たり、呆然たり、呆然たりか……。何と住みにくい浮世でございましょう。  故郷より手紙が来る。  ――現金主義になって、自分の口すぎ位はこっちに心配をかけないでくれ。才と云うものに自惚(うぬぼ)れてはならない。お母さんも、大分衰えている。一度帰っておいで、お前のブラブラ主義には不賛成です。――父より五円の為替。私は五円の為替を膝(ひざ)において、おありがとうござります。私はなさけなくなって、遠い故郷へ舌を出した。 (六月×日)  前の屍室(ししつ)には、今夜は青い灯がついている。又兵隊が一人死んだのだろう。青い窓の灯を横ぎって通夜をする兵隊の影が二ツぼんやりうつっている。 「あら! 螢(ほたる)が飛んどる。」  井戸端で黒島伝治(でんじ)さんの細君がぼんやり空を見上げていた。 「ほんとう?」  寝そべっていた私も縁端に出てみたけれど、もう螢も何も見えなかった。  夜。隣の壺井夫婦、黒島夫婦遊びに見える。  壺井さん曰(いわ)く。 「今日はとても面白かったよ。黒島君と二人で市場へ盥(たらい)を買いに行ったら、金も払わないのに、三円いくらのつり銭と盥をくれて一寸ドキッとしたぜ。」 「まあ! それはうらやましい、たしか、クヌウト・ハムスンの『飢え』と云う小説の中にも蝋燭(ろうそく)を買いに行って、五クローネルのつり銭と蝋燭をただでもらって来るところがありましたね。」  私も夫も、壺井さんの話は一寸うらやましかった。――泥沼に浮いた船のように、何と淋しい私達の長屋だろう。兵営の屍室と墓地と病院と、安カフエーに囲まれたこの太子堂の暗い家もあきあきしてしまった。 「時に、明日はたけのこ飯にしないかね。」 「たけのこ盗みに行くか……」  三人の男たちは路の向うの竹藪(たけやぶ)を背戸に持っている、床屋の二階の飯田さんをさそって、裏の丘へたけのこを盗みに出掛けて行った。女達は久しぶりに街の灯を見たかったけれども、あきらめて太子堂の縁日を歩いてみた。竹藪の小路に出した露店のカンテラの灯が噴水のように薫じていた。 (六月×日)  美しい透きとおった空なので、丘の上の緑を見たいと云って、久し振りに貧しい私達は散歩に出る話をした。鍵(かぎ)を締めて、一足おそく出て行ってみると、どっちへ行ったものか、夫の蔭はその辺に見えなかった。焦々して陽照りのはげしい丘の路を行ったり来たりしてみたけれど随分おかしな話である。待ちぼけを食ったと怒ってしまった夫は、私の背をはげしく突き飛ばすと閉ざした家へはいってしまった。又おこっている。私は泥棒猫のように台所から部屋へはいると、夫はいきなり束子(たわし)や茶碗を私の胸に投げつけて来た。ああ、この剽軽(ひょうきん)な粗忽(そこつ)者をそんなにも貴方は憎いと云うのですか……私は井戸端に立って蒼(あお)い雲を見ていた。右へ行く路が、左へまちがっていたからと云っても、「馬鹿だねえ」と云う一言ですむではありませんか。私は自分の淋しい影を見ていると、小学生時代に、自分の影を見ては空を見ると、その影が、空にもうつっていたあの不思議な世界のあった頃を思い出してくるのだ。青くて高い空を私はいつまでも見上げていた。子供のように涙が湧(わ)きあふれて来て、私は地べたへしゃがんでしまうと、カイロの水売りのような郷愁の唄をうたいたくなった。  ああ全世界はお父さんとお母さんでいっぱいなのだ。お父さんとお母さんの愛情が、唯一のものであると云う事を、私は生活にかまけて忘れておりました。白い前垂を掛けたまま、竹藪や、小川や洋館の横を通って、だらだらと丘を降りると、蒸汽船のような工場の音がしていた。ああ尾道(おのみち)の海! 私は海近いような錯覚をおこして、子供のように丘をかけ降りて行った。そこは交番の横の工場のモーターが唸(うな)っているきりで、がらんとした原っぱだった。三宿(みしゅく)の停留場に、しばらく私は電車に乗る人か何かのように立ってはいたけれど、お腹(なか)がすいてめがまいそうだった。 「貴女! 随分さっきから立っていらっしゃいますが、何か心配ごとでもあるのではありませんか。」  今さきから、じろじろ私を見ていた二人の老婆が、馴々しく近よって来ると私の身体(からだ)をじろじろ眺めている。笑いながら涙をふりほどいている私を連れて、この親切なお婆さんは、ゆるゆる歩きだしながら信仰の強さで足の曲った人が歩けるようになったことだとか、悩みある人が、神の子として、元気に生活に楽しさを感じるようになったとか、色々と天理教の話をしてくれるのであった。  川添いのその天理教の本部は、いかにも涼しそうに庭に水が打ってあって、楓(かえで)の青葉が、爽かに塀(へい)の外にふきこぼれていた。二人の婆さんは広い神前に額(ぬか)ずくと、やがて両手を拡げて、異様な踊を始めだした。 「お国はどちらでいらっしゃいますか?」  白い着物を着た中年の神主が、私にアンパンと茶をすすめながら、私の侘しい姿を見てたずねた。 「別に国と云って定まったところはありませんけれど、原籍は鹿児島県東桜島です。」 「ホウ……随分遠いんですなあ……」  私はもうたまらなくなって、うまそうなアンパンを一つ摘(つま)んで食べた。一口噛(か)むと案外固くって粉がボロボロ膝にこぼれ落ちている。――何もない。何も考える必要はない。私はつと立って神前に額ずくと、そのまま下駄をはいて表へ出てしまった。パン屑(くず)が虫歯の洞穴の中で、ドンドンむれていってもいい。只口に味覚があればいいのだ。――家の前へ行くと、あの男と同じように固く玄関は口をつぐんでいる。私は壺井さんの家へ行くと、ゆっくりと足を投げ出してそこへ寝かしてもらった。 「お宅に少しばかりお米はありませんか?」  人のいい壺井さんの細君も、自分達の生活にへこたれてしまっているのか、私のそばに横になると、一握の米を茶碗に入れたのを持ってきて、生きる事が厭(いや)になってしまったわと云う話におちてしまっている。 「たい子さんとこは、信州から米が来たって云っていたから、あそこへ行って見ましょうか。」 「そりゃあ、ええなあ……」  そばにいた伝治さんの細君は、両手を打って子供のように喜んでいる。ほんとうに素直な人だ。 (六月×日)  久し振りに東京へ出て行った。新潮社で加藤武雄さんに会う。文章倶楽部(クラブ)の詩の稿料を六円戴く。いつも目をつぶって通る神楽坂(かぐらざか)も、今日は素敵に楽しい街になって、店の一ツ一ツを私は愉しみに覗いて通った。 隣人とか 肉親とか 恋人とか それが何であろう 生活の中の食うと云う事が満足でなかったら 描いた愛らしい花はしぼんでしまう 快活に働きたいと思っても 悪口雑言の中に 私はいじらしい程小さくしゃがんでいる。 両手を高くさしあげてもみるが こんなにも可愛い女を裏切って行く人間ばかりなのか いつまでも人形を抱いて沈黙(だま)っている私ではない お腹がすいても 職がなくっても ウオオ! と叫んではならないのですよ 幸福な方が眉をおひそめになる。 血をふいて悶死(もんし)したって ビクともする大地ではないのです 陳列箱に ふかしたてのパンがあるけれど 私の知らない世間は何とまあ ピヤノのように軽やかに美しいのでしょう。 そこで初めて 神様コンチクショウと呶鳴りたくなります。  長いあいだ電車にゆられていると、私は又何の慰めもない家へ帰らなければならないのがつまらなくなってきた。詩を書く事がたった一つのよき慰めなり。夜、飯田さんとたい子さんが唄いながら遊びに見えた。 俺んとこの あの美しい ケッコ ケッコ鳴くのが ほしんだろう……。  二人はそんな唄をうたっている。  壺井さんのとこで、青い豆御飯を貰った。 (六月×日)  今夜は太子堂のおまつりで、家の縁側から、前の広場の相撲場がよく見えるので、皆背のびをして集まって見る。「西! 前田河ア」と云う行司の呼び声に、縁側へ爪先立っていた私たちはドッと吹き出して哄笑した。知った人の名前なんかが呼ばれるととてもおかしくて堪(たま)らない。貧乏をしていると、皆友情以上に、自分をさらけ出して一つになってしまうものとみえる。みんなはよく話をした。怪談なんかに話が飛ぶと、たい子さんも千葉の海岸で見た人魂(ひとだま)の話をした。この人は山国の生れなのか非常に美しい肌をもっている。やっぱり男に苦労をしている人なり。夜更け一時過ぎまで花弄(はなあそび)をする。 (六月×日)  萩原さんが遊びにみえる。  酒は呑みたし金はなしで、敷蒲団を一枚屑屋に一円五十銭で売って焼酎(しょうちゅう)を買うなり。お米が足りなかったのでうどんの玉を買ってみんなで食べた。 平手もて 吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり。 酒呑めば鬼のごとくに青かりし 大いなる顔よ かなしき顔よ。  ああ若い私達よ、いいじゃありませんか、いいじゃないか、唄を知らない人達は、啄木を高唱してうどんをつつき焼酎を呑んでいる。その夜、萩原さんを皆と一緒におくって行って、夫が帰って来ると蚊帳がないので私達は部屋を締め切って蚊取り線香をつけて寝につくと、 「オーイ起きろ起きろ!」と大勢の足音がして、麦ふみのように地ひびきが頭にひびく。 「寝たふりをするなよオ……」 「起きているんだろう。」 「起きないと火をつけるぞ!」 「オイ! 大根を抜いて来たんだよ、うまいよ、起きないかい……」  飯田さんと萩原さんの声が入りまじって聞えている。私は笑いながら沈黙っていた。 (七月×日)  朝、寝床の中ですばらしい新聞を読んだ。  本野(もとの)子爵夫人が、不良少年少女の救済をされると云うので、円満な写真が大きく新聞に載っていた。ああこんな人にでもすがってみたならば、何とか、どうにか、自分の行く道が開けはしないかしら、私も少しは不良じみているし、まだ二十三だもの、私は元気を出して飛びおきると、新聞に載っている本野夫人の住所を切り抜いて麻布(あざぶ)のそのお邸へ出掛けて行ってみた。  折目がついていても浴衣は浴衣なのだ。私は浴衣を着て、空想で胸をいっぱいふくらませて歩いている。 「パンをおつくりになる、あの林さんでいらっしゃいましょうか?」  女中さんがそんな事を私にきいた。どういたしまして、パンを戴きに上りました林ですと心につぶやきながら、 「一寸(ちょっと)お目にかかりたいと思いまして……」と云ってみる。 「そうですか、今愛国婦人会の方へ行っていらっしゃいますけれど、すぐお帰りですから。」  女中さんに案内をされて、六角のように突き出た窓ぎわのソファに私は腰をかけて、美しい幽雅な庭に見いっていた。青いカーテンを透かして、風までがすずやかにふくらんではいって来る。 「どう云う御用で……」  やがてずんぐりした夫人は、蝉(せみ)のように薄い黒羽織を着て応接間にはいって来た。 「あのお先きにお風呂をお召しになりませんか……」  女中が夫人にたずねている。私は不良少女だと云う事が厭(いや)になってきて、夫が肺病で困っていますから少し不良少年少女をお助けになるおあまりを戴きたいと云ってみた。 「新聞で何か書いたようでしたが、ほんのそう云う事業に手助けをしているきりで、お困りのようでしたら、九段の婦人会の方へでもいらっして、仕事をなさってはいかがですか……」  私は程よく埃(ほこり)のように外に出されてしまったけれど、――彼女が眉をさかだててなぜあの様な者を上へ上げましたと、いまごろは女中を叱っているであろう事をおもい浮べて、ツバキをひっかけてやりたいような気持ちだった。ヘエー何が慈善だよ、何が公共事業だよだ。夕方になると、朝から何も食べていない二人は、暗い部屋にうずくまって当(あて)のない原稿を書いた。 「ねえ、洋食を食べない?」 「ヘエ?」 「カレーライス、カツライス、それともビフテキ?」 「金があるのかい?」 「うん、だって背に腹はかえられないでしょう、だから晩に洋食を取れば、明日の朝までは金を取りにこないでしょう。」  洋食をとって、初めて肉の匂いをかぎ、ずるずるした油をなめていると、めまいがしそうに嬉しくなってくる。一口位は残しておかなくちゃ変よ。腹が少し豊かになると、生きかえったように私達は私達の思想に青い芽を萌(も)やす。全く鼠も出ない有様なのだから仕方もない――。  私は蜜柑(みかん)箱の机に凭(もた)れて童話のようなものをかき始める。外は雨の音なり。玉川の方で、絶え間なく鉄砲を打つ音がしている。深夜だと云うのに、元気のいい事だ。だが、いつまでこんな虫みたいな生活が続くのだろうか、うつむいて子供の無邪気な物語を書いていると、つい目頭が熱くなって来るのだ。  イビツな男とニンシキフソクの女では、一生たったとて白い御飯が食えそうにもありません。         * (七月×日)  胸に凍(しみ)るような侘(わび)しさだ。夕方、頭の禿(は)げた男の云う事には、「俺はこれから女郎買いに行くのだが、でもお前さんが好きになったよ、どうだい?」私は白いエプロンをくしゃくしゃに円めて、涙を口にくくんでいた。 「お母アさん! お母アさん!」  何もかも厭になってしまって、二階の女給部屋の隅に寝ころんでいる。鼠が群をなして走っている。暗さが眼に馴れてくると、雑然と風呂敷包みが石塊のように四囲に転がっていて、寝巻や帯が、海草のように壁に乱れていた。煮えくり返るようなそうぞうしい階下の雑音の上に、おばけでも出て来そうに、女給部屋は淋しいのだ。ドクドクと流れ落ちる涙と、ガスのように抜けて行く悲しみの氾濫(はんらん)、何か正しい生活にありつきたいと思うなり。そうして落ちついて本を読みたいものだ。 しゅうねく強く 家の貧苦、酒の癖、遊怠(あそび)の癖、 みなそれだ。 ああ、ああ、ああ 切りつけろそれらに とんでのけろ、はねとばせ 私が何べん叫びよばった事か、苦しい、 血を吐くように芸術を吐き出して狂人のように踊りよろこぼう。  槐多(かいた)はかくも叫びつづけている。こんなうらぶれた思いの日、チエホフよ、アルツイバアセフよ、シュニッツラア、私の心の古里を読みたいものだと思う。働くと云う事を辛いと思った事は一度もないけれど、今日こそ安息がほしいと思う。だが今はみんなお伽話(とぎばなし)のようなことだ。  薄暗い部屋の中に、私は直哉(なおや)の「和解」を思い出していた。こんなカフエーの雑音に巻かれていると、日記をつける事さえおっくうになって来ている。――まず雀が鳴いているところ、朗かな朝陽が長閑(のどか)に光っているところ、陽にあたって青葉の音が色が雨のように薫じているところ、槐多ではないけれど、狂人のように、一人居の住居が恋しくなりました。  十方空(むな)しく御座候だ。暗いので、私は只じっと眼をとじているなり。 「オイ! ゆみちゃんはどこへ行ったんだい?」  階下でお上さんが呼んでいる。 「ゆみちゃん居るの? お上さんが呼んでてよ。」 「歯が痛いから寝てるって云って下さい。」  八重ちゃんが乱暴に階下へ降りて行くと、漠々とした当のない痛い気持ちが、いっそ死んでしもうたならと唄い出したくなっている。メフィストフェレスがそろそろ踊り出して来たぞ! 昔おえらいルナチャルスキイとなん申します方が、――生活とは何ぞや? 生ける有機体とは何ぞや? と云っている。ルナチャルスキイならずとも、生活とは何ぞや? 生ける有機体とは何ぞやである。落ちたるマグダラのマリヤよ、自己保存の能力を叩きこわしてしまうのだ。私は頭の下に両手を入れると、死ぬる空想をしていた。毒薬を呑む空想をした。「お女郎を買いに行くより、お前が好きになった。」何と人生とはくだらなく朗かである事だろう。どうせ故郷もない私、だが一人の母のことを考えると切なくなって来る。泥棒になってしまおうかしら、女馬賊になってしまおうかしら……。別れた男の顔が、熱い瞼(まぶた)に押して来る。 「オイ! ゆみちゃん、ひとが足りない事はよく知ってんだろう、少々位は我慢して階下へ降りて働いておくれよ。」  お上さんが、声を尖(とが)らせて梯子(はしご)段を上って来た。ああ何もかも一切合財が煙だ砂だ泥だ。私はエプロンの紐(ひも)を締めなおすと、陽気に唄を唄いながら、海底のような階下の雑沓(ざっとう)の中へ降りて行った。 (七月×日)  朝から雨なり。  造ったばかりのコートを貸してやった女は、とうとう帰って来なかった。一夜の足留りと、コートを借りて、蛾(が)のように女は他の足留りへ行ってしまった。 「あんたは人がいいのよ、昔から人を見れば泥棒と思えって言葉があるじゃないの。」  八重ちゃんが白いくるぶしを掻(か)きながら私を嘲笑(あざわら)っている。 「ヘエ! そんな言葉があったのかね。じゃ私も八重ちゃんの洋傘でも盗んで逃げて行こうかしら。」  私がこんなことを云うと、寝ころんでいた由ちゃんが、 「世の中が泥棒ばかりだったら痛快だわ……」と云っている。由ちゃんは十九で、サガレンで生れたのだと白い肌が自慢だった。八重ちゃんが肌を抜いでいる栗色の皮膚に、窓ガラスの青い雨の影が、細かく写っている。 「人間ってつまらないわね。」 「でも、木の方がよっぽどつまらないわ。」 「火事が来たって、大水が来たって、木だったら逃げられないわよ……」 「馬鹿ね!」 「ふふふふ誰だって馬鹿じゃないの――」  女達のおしゃべりは夏の青空のように朗かである。ああ私も鳥か何かに生れて来るとよかった。電気をつけて、みんなで阿弥陀(あみだ)を引いた。私は四銭。女達はアスパラガスのように、ドロドロと白粉(おしろい)をつけかけたまま皆だらしなく寝そべって蜜豆(みつまめ)を食べている。雨がカラリと晴れて、窓から涼しい風が吹きこんでくる。 「ゆみちゃん、あんたいい人があるんじゃない? 私そう睨(にら)んだわ。」 「あったんだけれど遠くへ行っちゃったのよ。」 「素敵ね!」 「あら、なぜ?」 「私は別れたくっても、別れてくんないんですもの。」  八重ちゃんは空になったスプーンを嘗(な)めながら、今の男と別れたいわと云っている。どんな男のひとと一緒になってみても同じ事だろうと私が云うと、 「そんな筈ないわ、石鹸(せっけん)だって、十銭のと五十銭のじゃ随分品が違ってよ。」と云うなり。  夜。酒を呑む。酒に溺(おぼ)れる。もらいは二円四十銭、アリガタヤ、カタジケナヤ。
林芙美子 新版放浪記 第一部
『私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない…』で始まる新版放浪記、大正・昭和初期にかけての林 芙美子はどのように生きてきたのでしょうか。ご一緒にお楽しみいただければ幸いです。なお、文中には今日では不適切と思われる表現が含まれておりますが、そのまま読ませていただいておりますことをご了承くださいませ。  えぷろん