
どうもキムラです。
さて、前回はポッドキャスト公開直前に石破辞任の報せが入ってくるというハプニングにも見舞われ、なにか日本が少しずつよろしくない方向へと向かっている…という、世の中の「風」を感じながら、もはや次が小泉だろうが、高市だろうが、林だろうが、はたまた麻生だろうが、本当に重要なのはそこではなく、新たな国のトップが民衆をどのように扇動されていくのか、それによってこれからいったい幾つの間違いが繰り返されてしまうのか。より広い目で未来を案じることが必要です。
国家の中枢に佇む支配者や指導者たちに目を向けると、彼は力を持ってはいるものの、その力を実行するのに恐れてばかりの腰抜け、とまでは言いませんが、非常に形骸化した存在に成り果ててしまった。その結果として台頭したのが神谷宗幣なわけで、メカニズムとしてはかつて細木数子やマツコ・デラックスがメディアに持ち上げられたことと同じであり、いつの世も「ズバリ言うわよ」を欲しているわけです。
そしてSNSを見ていると、民衆もまた非常に愚かである。左と右の境界線がそれぞれの発する暴力性という共通項によって曖昧になってしまい、彼らはまるで水槽の中でケーブルに繋がれた脳のように非現実的な、あるいは映画『スーパーマン』に登場する、PCの前でキーボードを叩き続ける猿のように狂乱的な姿で、タイムラインというたった一瞬の時間軸をみずからの住処としています。理想の国家を作るためには、理想の民衆が必要だという「わけでもない」のが落とし穴で、多数決を勝ち取った者たちの理想によって作られたコミュニティこそ、それが「理想」と定義づけられてしまう。各々が理想を押し付け合うが、別に革命が起こるわけでもなく、コミュニティが乱立するだけの極めて空虚な状態。それが今の日本です。漁港のスピーカーから「多数決で決めるなんて 全然きゅーとじゃないじゃん わたし少数派でいいじゃん(FRUITS ZIPPER『NEW KAWAII』)」という歌声が聞こえてくる世界になりました。
しかし、人類は愚かだからこそ美しい。欠点があるからこそ人を愛することができる。藤井風『Prema』ばかり聴いて、すっかり"High Yourself"状態なキムラはこれから来る(おそらく)最悪な世界に備え、愛や信念について深く考えるようになりました。世界の状態と自分自身の状態は全く別のもの。だからこそできるだけ自分の状態を良好に保つために、SNSとは断絶された、リアルな身の回りの世界にこれまで以上に目を向けるようになりました。休みの日は毎朝散歩し、水を飲み、木や鳥を眺める。とても楽しいです。
なんだか日記みたいになってしまいましたが、後半パートではもう少し『鬼滅の刃』の内容について考えながら、それを現在の政局と照らし合わせつつ、さらに来年始まるあのドラマの凄さとヤバさについて話しています。