
『私はこーへとキムラのコンテンツ過剰接続』第一回の特集は「星野源『Gen』と大阪万博」です。『逃げ恥』や『恋』のヒット以降、ミュージシャン、俳優業、文筆業など様々な分野で活躍を続ける星野源。彼が6年ぶりにリリースしたアルバム『Gen』はもう聴きましたか?この国のポップミュージック・シーンを牽引する重要かつ巨大な存在でありながらも、私たちは彼の凄みや引力の正体を未だ捉え切れていないのではないでしょうか?そんな彼を包む曖昧さや抽象性ゆえに、彼の周囲では常に様々な政治的イシューによる分断が引き起こされています。ポップスターとして大衆の要請に応えながら明るくご機嫌に振る舞う一方で、時に私たちを身震いさせるほどの恐ろしい狂気を表出する瞬間さえ見せる、その内面。アルバムリリースに際してのインタビューでは彼自身が抱える絶望や諦念といった素顔をありのままに吐露しています。このように複雑な多面性を持つ星野源という存在について、様々なトピックを過剰に接続しながら語っていきます。『Gen』のセルフタイトルに込められた意味とは?絶望と諦念を抱えながら、彼の書く歌詞はどう変化したのか?『MAD HOPE』とはなにか?結局『LIGHTHOUSE』とはなんだったのか?彼は何を原動力に「創造」を続けるのか?前半エピソードではニューアルバム『Gen』の作品性をもとに、直近の星野源の思考や境遇が「どう」変化したのか、また「なぜ(Why)」変化したのかについて迫ります。